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Mar 11, 2012

あれから1年

ポスト @ 23:43:04 | Crisis

あの日からもう1年も経ってしまったんですね。感覚的には短かった、というか、時が経っているのか経っていないのか、よくわからない1年でした。

生活環境は震災前にほぼ戻っていますが、職場の復旧はまだ道半ばで、未だに天井の化粧板は抜け落ちたまま、壁にもひびが入ったままという状況です。そんな環境が普通になってきてしまっていて、地震に対する感度も低くなってきています。慣れとは怖いものです。ある意味被災者でもそうなのですから、そうでない人が忘れていくのは仕方の無いことなのかなと思います。

よく何十年前だか何百年前だかに同じような災害があったのに、なぜその教訓が生かされなかったのか、というような報道がありますが、それは仕方無いことなのではないでしょうか。教訓を生かせるのは当事者だけでしょ。同じ時代に生きていても、当事者とそうでない人では意識が全く違うのだから、ましてや後世の人に同じ危機感を持てなんていうのは土台無理な相談です。経験した人が、そうならないような仕組みを作るしか無いんです。当人も忘れないうちにね。

Mar 19, 2011

あの日から1週間

ポスト @ 2:40:29 | Crisis

大手メディアには完全にスルーされている北関東ですが、まだまだライフラインが復旧していない地域もありますし、避難している人も多数いるのが現状です。そんな中でも、東北新幹線や東北自動車道が一部開通して物流も改善されそうですし、ボランティアの活躍で復興も徐々に進んでいるようです。さらに、福島からの避難者の受け入れも行っており、地味に良い仕事をしております。

以下、お恥ずかしい文章でしたので自粛(2011/3/19 23:53)

それは良いとして、二次災害ともいえる問題は**「[原発の風評被害](http://mainichi.jp/select/science/news/20110318k0000e040049000c.html)」**です。屋内退避地域が最も深刻なようですが、その周辺も多かれ少なかれ同じでしょう。避難地域でもないのに物流が止まり、食料も無い、ライフラインも復旧しない、避難しようにもガソリンが無い。政府のせいにするのも結構、東電のせいにするのも結構、でも困っているのは住民です。我々ではありません。 今、福島第1原発では被害を最小に食い止めようと多くの方々が文字通り命をかけて戦っているというのに、それを無にしようとしている人がいる。現実を知らずに高見の見物をしている似非学者のみならず、悪気の無い誰かの行為が、放射線よりも先に人の命を奪うかもしれません。本当に住民を助けたいと思っているのはどちらでしょう? 見解の相違があることは承知していますが、そんなことより住民の安全確保が第一です。本当に危険な地域だと思うなら、そう思う人の手でこの地域の人たちを避難させてあげて下さい。 何も出来ないなら、せめて邪魔をしないで欲しい。 気分を悪くされる方がいるのは承知で書いています。でも深刻な問題です。

Mar 16, 2011

福島第1原発

ポスト @ 3:31:53 | Crisis

原発についてあまりに無知なため、お勉強。

以下、厳密には現在進行形のこととは若干ずれていると思いますが、福島原発で起こっていることを理解する助けにはなります。マスコミの断片的な情報だけでは全体像が分かり難いですからね。

大前研一氏による解説

大前健一さんの動画を見るとプレゼン能力が高いというのか、自分の言葉で語ることが如何に説得力を持つか思い知らされます。

豪アデレード大学 Barry Brook教授の解説

結論は楽観的過ぎる気もしますが、核燃料が再臨界に達する可能性はとても低いということでしょう。

Mar 12, 2011

東北地方太平洋沖地震

ポスト @ 21:39:17 | Crisis

ひどい地震でした。被害が明らかになるにつれ、その恐ろしさが増してきます。東北地方、特に沿岸の方は心が休まる暇が無いでしょうが、被害者が一人でも少ないこと、また、一日も早い復興をお祈りいたします。

まだまだ余震が続いてるので過去形ではありませんが、うちのあたり(栃木)は地震から丸一日たってようやくライフラインが復活し、大分落ち着きを取り戻してきたように思います。感心したのは、昨夜、停電で真っ暗の中でコンビニが営業していたこと。流石に食料品はほぼ品切れでしたが、懐中電灯片手に電卓で営業していたのは涙ものでした。さらに今日も、停電から復帰すると即座に営業を再開していました。でも、やはり食料品は無いですね。

さて、自分はというと、地震があったときは会社にいました。最初はユサユサと大した揺れではなかったので油断をしていましたが、次第に揺れが大きくなってきたため、皆デスクの下に潜り込みました。正直、地震で机の下に潜るなんて、避難訓練以外では初めての経験です。

その刹那、ガガガー!と音を立てて、なんと天井が降って来たのです。石膏ボードやら鉄筋やら埃も混じって辺り一面真っ白です。このまま机ごと押しつぶされて生き埋めになるのではないかと思いましたが、できることは、机の脚に必死にしがみついて地震が収まるのを待つのみでした。実際は大した時間ではなかったかもしれませんが、当人にとっては永遠とも思える時間でした。

そんな中でも、上から押しつぶされるとしたら仰向けの方が良いかなと考えたり、飛んできたEWSが壊れていないか確認したり、冷静なんだか異常なんだか自分でも良くわからないことをしておりました。後から考えると異常な精神状態だったような。

ようやく大きな揺れが収まって、周りの人間の無事を確認すると一安心。何度かの余震をやり過ごした後、瓦礫の山と化した職場を踏み分け、ガラスが割れた窓から脱出することに成功しました。それから、決められた避難場所で皆の安否を確認した後、日暮れ前に帰宅となりました。

街中はというと、ところどころで塀が崩れていたり、屋根瓦や壁の一部が剥がれていたりするところはありましたが、大きな被害は無さそうで安心しました。自分のうちも物が散らかった程度で済んでいましたし。うちは会社から10km程度のところなのに、こんなに違うものかと不思議なのですが、そんな感じです。

ただ、街中停電で、家の灯りはもちろん、街灯も信号も標識も消えていたので、正に真っ暗闇。車のライトだけが頼りという、街中なのに奥深い山の中のような不思議な光景でした。こんな中で、車も使えず、着の身着のままで避難しなければならない立場だったら、と考えると、まだ自分の立場は恵まれているなと思いました。

また、今回実感したのは、本当に役立つ情報を得るには地元のラジオが一番だということ。全国放送のTVは、全体の情勢を掴むのには良いかもしれませんが、正直、高みの見物です。避難場所や炊き出しの場所などの情報は、地元のラジオじゃないと放送してくれませんからね。また、携帯はネットもメールも懐中電灯代わりにも非常に役立つのですが、充電出来なければ意味が無いということ。バッテリーを保たそうと使用を制限するのもストレスになります。やはりこういうときは、乾電池から充電できる機器(と、もちろん乾電池のストック)が絶対必要だと感じました。