Mar 12, 2011
東北地方太平洋沖地震
ひどい地震でした。被害が明らかになるにつれ、その恐ろしさが増してきます。東北地方、特に沿岸の方は心が休まる暇が無いでしょうが、被害者が一人でも少ないこと、また、一日も早い復興をお祈りいたします。
まだまだ余震が続いてるので過去形ではありませんが、うちのあたり(栃木)は地震から丸一日たってようやくライフラインが復活し、大分落ち着きを取り戻してきたように思います。感心したのは、昨夜、停電で真っ暗の中でコンビニが営業していたこと。流石に食料品はほぼ品切れでしたが、懐中電灯片手に電卓で営業していたのは涙ものでした。さらに今日も、停電から復帰すると即座に営業を再開していました。でも、やはり食料品は無いですね。
さて、自分はというと、地震があったときは会社にいました。最初はユサユサと大した揺れではなかったので油断をしていましたが、次第に揺れが大きくなってきたため、皆デスクの下に潜り込みました。正直、地震で机の下に潜るなんて、避難訓練以外では初めての経験です。
その刹那、ガガガー!と音を立てて、なんと天井が降って来たのです。石膏ボードやら鉄筋やら埃も混じって辺り一面真っ白です。このまま机ごと押しつぶされて生き埋めになるのではないかと思いましたが、できることは、机の脚に必死にしがみついて地震が収まるのを待つのみでした。実際は大した時間ではなかったかもしれませんが、当人にとっては永遠とも思える時間でした。
そんな中でも、上から押しつぶされるとしたら仰向けの方が良いかなと考えたり、飛んできたEWSが壊れていないか確認したり、冷静なんだか異常なんだか自分でも良くわからないことをしておりました。後から考えると異常な精神状態だったような。
ようやく大きな揺れが収まって、周りの人間の無事を確認すると一安心。何度かの余震をやり過ごした後、瓦礫の山と化した職場を踏み分け、ガラスが割れた窓から脱出することに成功しました。それから、決められた避難場所で皆の安否を確認した後、日暮れ前に帰宅となりました。
街中はというと、ところどころで塀が崩れていたり、屋根瓦や壁の一部が剥がれていたりするところはありましたが、大きな被害は無さそうで安心しました。自分のうちも物が散らかった程度で済んでいましたし。うちは会社から10km程度のところなのに、こんなに違うものかと不思議なのですが、そんな感じです。
ただ、街中停電で、家の灯りはもちろん、街灯も信号も標識も消えていたので、正に真っ暗闇。車のライトだけが頼りという、街中なのに奥深い山の中のような不思議な光景でした。こんな中で、車も使えず、着の身着のままで避難しなければならない立場だったら、と考えると、まだ自分の立場は恵まれているなと思いました。
また、今回実感したのは、本当に役立つ情報を得るには地元のラジオが一番だということ。全国放送のTVは、全体の情勢を掴むのには良いかもしれませんが、正直、高みの見物です。避難場所や炊き出しの場所などの情報は、地元のラジオじゃないと放送してくれませんからね。また、携帯はネットもメールも懐中電灯代わりにも非常に役立つのですが、充電出来なければ意味が無いということ。バッテリーを保たそうと使用を制限するのもストレスになります。やはりこういうときは、乾電池から充電できる機器(と、もちろん乾電池のストック)が絶対必要だと感じました。
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